わささbのブログ

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古代三大図書館のひとつがあるペルガモン遺跡の素晴らしい建築技術に魅了される

トルコの西側、エーゲ海から25km離れた場所にベルガマという人口10万人程度の行政区がある。イスタンブールから車で南西に約4時間、イズミルから北に約1時間半で到着できる。

そこは、かつてはペルガモンと呼ばれ、5代の皇帝が治めた古代の中心都市だった場所である。

ペルガモンはアクロポリス (高い丘の都市)であり、現在観光地として残っているのは神殿や宮殿の建てられてあった高い丘のみ。(本来は高い丘の周囲にも都市は広がっていた。)

今回は、2000年以上後世の現在まで残る素晴らしい建築技術が見所のペルガモン遺跡を紹介する。

 

ペルガモン遺跡(アクロポリス遺跡)の全容

ペルガモン遺跡はいくつかの記事でアクロポリス遺跡と書かれていることがあるが、アクロポリスとは古代都市(ポリス)のシンボルとなった小高い丘のことなので、ペルガモン遺跡以外にもアクロポリスはたくさんある。有名なのはギリシャアテネにあるパルテノン神殿が建つ場所、あそこもアクロポリスだ。

ペルガモン遺跡も、アクロポリス遺跡と呼ばれる所以はもちろん小高い丘(大きさ的には山と言ってもよさそう)に建てられているからだ。

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山全域に遺跡が残る。小さく見えるが、登ってみると高く、急斜面を持つ山である。

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専門家が想像した繁栄していた頃の様子。山の頂上からふもとを通り、平地にかけて全域が城市になっていたと思われる。


ロープウェイで上都市入口まで登る

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ロープウェイ。6~8人乗り。

風が相当強く、ボックスがめちゃくちゃ大きく揺れるので、MAX人数で乗ったほうが揺れがまだマシになる。

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ロープウェイの途中から撮影した写真。頂上付近は相当地面から高いところにボックスが浮くことになる。ロープウェイ始点からすぐに遺跡が始まり、ほとんどずっと下に遺跡が見える状態が続く。

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ロープウェイ終点を降り、入り口から遺跡を眺める。見渡す限り、どこにでも建物跡が見える。

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大きな赤土の壺。クズル・ウルマクが運んできた赤土で作ったのだろうか。欠けていることもなく、極めて綺麗な状態で残っている。(もしかしてレプリカ?)

ボアズカレのハットゥシャシュ遺跡やイスタンブールの古代東方博物館にあった同じような壺も半分埋まっている状態だったが、デフォルトでこの状態なのだろうか?それとも土砂の蓄積?

ボアズカレとイスタンブールの記事はこちらから。

wasasab.hateblo.jp

wasasab.hateblo.jp

 

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古代東方博物館にある壺はこれのこと。埋められている。


城塞門から古代の3本指に入った図書館までを歩く

チケットを買い、セキュリティゲートを抜けると少し坂(または階段)を上る。

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城塞門に向かう道。写真で人が歩いている場所が本来は馬車道、その隣にある空間が歩道で、当時は馬と人の道が分けられていた。

歩道の先には階段があるが、馬車道はずっと平面になっている。馬車道の木の板で道を作っているところが終わると、道は随分凸凹している。もし、当時もこの道の状態だったなら、よく馬車が通ったなと不思議に思う。

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城塞門側から見た馬車道と歩道。左が歩道で階段になっている。

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城塞に入って少し歩くと、まず左手に見えるのがアテナの聖域と呼ばれる広い空間。ここは現在ほとんど何も残っていない。

手前に柱が並んでいるが、回廊のようになっていて、アテナの聖域を3面囲んでいる。その姿はまるで奈良にある法隆寺の回廊のようだ。法隆寺の回廊は4面を囲んでいるが。

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一番よく残っている回廊のようなところの柱。大理石でできていることが分かる。

大理石は周辺のどこからでも出てくるそうで、ここペルガモンで使われた大理石も近場から採っている。ここにある大理石のものはローマ時代に造られたが、それよりも前の時代からこの場所は使われていた。

アテナ聖域の柱の右側に見えるのは、古代三大図書館のひとつであるペルガモン図書館跡だ。これは大理石ではないようなので、もっと前の時代に造られたのかもしれない。

敷地を見るとそう大きそうには見えないが、この図書館はエジプトのアレクサンドリア図書館の次に大きかったそうだ。もうひとつの古代三大図書館であるケルスス図書館も確かに敷地はそれほど大きくなかったので、この時代に本というのはとても貴重だったのかもしれない。

ちなみにケルスス図書館もトルコにある。その図書館のあるエフェソスの記事はまたいずれ書くつもりである。

 

そしてこの図書館が、世界初を作る。

当時の本は今のような紙が綴じられた本ではなく、エジプトのパピルス草から作られたパピルス紙に文字が書かれたものだった。

当時、ペルガモン図書館がアレクサンドリア図書館に次ぐ世界第二位の大きさを誇っていたため、エジプトはいずれ図書館の大きさを超えられることを恐れて、ペルガモンへのパピルスの輸出を止めた。本が増えなければ図書館を増築することもないだろうという意図である。

紙が得られなくなったペルガモンの偉い人は、紙を作れと自国の人へ命令した。作れと言われて考え付いたのは、羊の皮だった。トルコには現代も羊が多く飼育されているが、当時から羊が多かったのだろう。

そうして、できたのが羊皮紙である。ペルガモンは羊皮紙の発祥地となった。

 

羊関連の小話だが、トルコには犠牲祭というものがある。現代の話である。

犠牲祭では動物を神様に捧げるため、その日に向けて羊や牛を買う。牛のほうがグレードが高く、値段も高い。羊は普通の人でも買うことができる。周囲に住む人とお金を持ち寄って牛を買うこともあるそうだ。

と言っても、その大部分は羊で賄われる。そのためか、このペルガモン遺跡やハットゥシャシュ遺跡なども含めて、羊は国内どこでも見ることができる。

 

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城塞門を抜けて図書館まで歩く間、右手には宮殿が続いていたが、現在ではもはや瓦礫にしか見えない。


トラヤヌス神殿とその地下部分を歩く

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図書館を過ぎて少し歩くと、トラヤヌス神殿の柱が現れる。トラヤヌス神殿と図書館の2階は繋がっていたそうだ。

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山の頂上にあるので、とても景色が美しい。

青い空を仰ぎ、ひと時代に栄華を極めた古都眺める。当時の人々も同じようにこの景色を見ていたのだと思うと胸が熱くなる。

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神殿の柱(奥)と屋根の部分(手前)。手前の屋根の部分は柱がなく礎石に積み上げられている。礎石部分は大理石じゃないのね。

この神殿が建つ場所は山の頂上ということもあり、元々は斜面だった場所だ。故に、写真に写っている地は人工的に作られた地面ということになる。

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この看板に描かれているように、神殿が建つ場所は山の上なので地面はもちろん平らではない。

ここに斜面の下側に分厚い壁を設けてその間を土で埋める形式で人工的な地面を作ると、その地面は地震が来ればすぐに壁が壊れて崩れてしまう。

そこで、ここでも使われた技術が、アーチで作られた空洞をわざと設けることだ。

もう一度上の写真を見ると、左端の分厚い壁の隣にアーチがある。そのアーチから更に右側の壁まで、ここも90度別の方向を向いたアーチの天井が続き、その中は空洞になっている。

こうしてアーチと空洞を駆使したことで上からかかる負荷が分散され、また揺れなどへの耐久性も高くなり、現在まで現役で神殿跡を支える屈強な地面となっているわけだ。

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遺跡内部にある模型を見ると分かりやすいかもしれない。半円形の大劇場の左上に、頂上にそびえるトラヤヌス神殿が見える。

その神殿が建つ場所は人工的な地面の上である。また、そこは山の斜面の上に建っていることが分かる。

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トラヤヌス神殿の下にある地面を支える石のアーチがいくつかむき出している。

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人工地面の最端からみた、地面のアーチ。このアーチの下をくぐることができる。

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アーチを下から撮るとこんな感じ。写真右の方向に向かって、トラヤヌス神殿がこの上に建っていた。

アーチの上部にひとつだけ下にはみ出ている石が見える。この石はクサビとしての役割を担っていると思われる。

アーチの上にもたくさんの石が積み上げられていて、その重さもとてつもないだろうが、アーチ状であるからこそその重さも分散できている。

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先ほどのアートとは90度別の方向を向いたアーチ状の天井。これと同じ空間が、横にいくつも連なっている。写真手前の方向に向かって、トラヤヌス神殿がこの上に建っている。
アーチの天井の下は何もない空洞。とても広い場所なので、もしかしたら当時、倉庫などに活用していたかもしれない。

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歩いて通ってきたアーチを外から撮った写真。

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ちなみにトラヤヌス神殿跡から下を覗くと円形大劇場の全容を確認することができる。

これはいくつもある円形大劇場の中でも最も急こう配にある劇場であり、7000人が収容できる。ステージは木の組み立て式だったらしく、劇場が使われていないときは当時から今の状態のように何もなかった。

ちなみにステージが組み立て式だった理由は、景観を邪魔しないためだったそうだ。


アテナの聖域から下都市を眺めながら帰る

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トラヤヌス神殿の土台のアーチを通り抜けて少し歩くと、アテナの聖域へ出る。写真はアテナの聖域の端っこから下を撮影したもの。大きな建物跡や道路が見える。

これまでの写真からも分かるように、ペルガモン遺跡はとても当時の姿をよく残している遺跡である。

それゆえに、19世紀に世界の富豪の間で流行った遺跡発掘対象となり、ペルガモン遺跡にあった素晴らしい遺物は発掘者の国籍であるドイツに移され、現在もドイツに多く残っている。なんとドイツには、ペルガモン博物館という博物館があり、とんでもなく多くの遺物がドイツに流出したことが分かる。

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木が生えている場所にゼウスの大祭壇という建物があったが、その建物も現在はドイツのペルガモン博物館に展示されている。ネット検索してもらうと分かるが、結構完璧な状態の大祭壇だ。建物自体を移動させるなんて、それほど素晴らしかったというわけだ。

本来あるべき場所であるべきものを見られないというのは当時を生きた誰も想像していなかっただろうし、とても寂しいことである。とはいえ、歴史的重要なものが今なお美しい姿で残っているのは、博物館などで修復されてきちんと管理されているからだとも思う。

過去にイギリスの大英博物館とエジプトに行ったことがあるが、そこでも同様の気持ちを味わった。

 

話が逸れたが、ペルガモン遺跡はアーチで作られた土台が見所の当時の姿が多く残る場所なので、ぜひ訪れる際は音声ガイドなどを聞きながら遺跡を回るとより楽しめるので借りてほしい。

音声ガイドはチケット売り場で借りることができる。

ちなみに、書く機会がなかったので最後に書くと、ペルガモン遺跡は世界で初めて320m上にパイプで水を整備した場所でもある。私は音声ガイドを聞いていないのでパイプを見つけることができなかったが、音声ガイドを借りていればもしかすると見つけられたかもしれない。(パイプが残っているかも分からないが。ちなみにアフロディシアス遺跡にはパイプが残っていた。)

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ロープウェイ近くに連なるお土産屋さんにある目玉のお土産。魔除けの意味があるらしい。

トルコ全土のお土産屋さんで見ることができる定番のお土産だが、ギリシャにも同じお土産があるらしい。